べーすけ 歩いて日本一周

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生きているという平和 ~ 12月16日(火)  日本一周 徒歩の旅 ~

Posted by べーすけ on   6 comments   0 trackback




[総日数]     467日(日本橋出発後617日経過)
[今日のルート]  鹿児島県南九州市「知覧平和公園の野球場ベンチ」
[進捗状況]    九州を半時計回りで周遊中…





今日は朝起きてみると…めっちゃどしゃ降り

まぁ夜中にトイレで起きたときから分かっていたことだけれど。


横殴りの雨がめっちゃ強いけど

運良く風上に壁のあるベンチに寝ていたお陰で

それほど雨による被害が少なくて済んだわ

ラッキラッキーw


さて、昨日はわざわざ遠回りして

鹿児島市街のちょっと下にある知覧までやって来まして

今日は一日を費やして知覧の観光をするつもり


まぁ観光と言ってもやることは一つで

「知覧特攻平和会館」に行くだけ。


皆さんもご存じだと思いますが

知覧という場所は大東亜戦争に行われた

「特別攻撃」戦闘機の出撃基地


一応説明しておきますが

特別攻撃というのは

「片道分の燃料だけ入れた戦闘機に大量の爆薬を搭載し

敵軍の艦船に体当たりをして損傷を与える」というもので

搭乗したパイロットは必ず死ぬという「必死」の作戦

(現在使われる「必死」の意味とは重さが全然違いますよね)



正直なところ

旅を始めるときは「特攻」のことはもちろん

第二次世界大戦または大東亜戦争の戦争のことなんて興味がなかったし

知る必要なんてないと思ってた


だけど旅をしていくうちに

僕がこうして旅を続けることができているのは

今まで命を賭けて日本を守ってくれた人たちがいるからだと

感じるようになっていまして


長崎の原爆資料館と同じことを言うかもしれないけれど

現在の僕たちが安心安楽で幸せな生活ができている「根底」を知ることは

僕たちの「義務」なんじゃないかなと。


まぁ恥ずかしいことだけど

僕自身もそのことに気付いたのは三十路に近づいた今頃でして

これを誰かに強制をしたりするわけでもなんだけど



そういう意味でも

知覧という場所はとても意味深いところ

今日は五感を使ってしっかり感じてきます!






知覧特攻平和会館は

僕が寝ていた知覧平和公園の野球場から徒歩2分

















とりあえず開館までは球場のベンチで暇を潰して

9:00になったら雨の中をササッと走って入館する


入館料を500円を払うと

館内は撮影禁止との説明を受ける

マジか…長崎の原爆資料館は大丈夫だったけどなぁ


というわけで

写真がなくてリアリティはありませんが

その場で感じてきたことを文章にてお伝えしようと思います



知覧特攻平和会館の概要としては

特攻で使用された実物の戦闘機や装備などが展示されているけれど

一番の見所は、やはり特攻隊員の「遺書」だと思う


平和会館には特攻隊員の1,036柱もの遺影と共に

特攻出撃前の遺書や手紙、出発直前に書いた「絶筆」などが

ほぼ全て保管されている


多分、撮影禁止って言うのは

これらの寄付されたものがあるからなんだろうな


特攻隊員と聞くと

「少年飛行兵」➡未成年の少年達という印象だけど

実は少年飛行兵は特攻作戦の後期に苦肉の策として行われたもので

最初の頃は大卒の飛行兵やエリート兵などが志願していたとのこと


だから遺書や絶筆を見るとこれはもう達筆で

それに加えて余命宣告をされた整理の付かない気持ちが相まって

その文字をみるだけでもう説明できないような説得力がある


正直、僕が書き残した思い出を書くより

その文字を人目見た方が100倍いいんですが(百聞は一見に如かず)


たくさんの遺書にゆっくりと目を通していくと

ひとつ、興味深いことに気がつく

それは多くの遺書や絶筆は「母親」に対して書いているということ


もちろん皇国への想いや祖国へ貢献したいという気持ちもあったんだろうけど

やはり自分の命が失われることほど恐ろしいことはない

それがまだ期を熟した年齢ならば「万歳!」と身を擲っていくのだろうけど

特攻隊の多くが17~25くらいの若い青年達なわけで

そんな覚悟ができてたわけなんかない


もう明日、もしくは数時間後には死ぬという極限状態で

最後に思い出したのは自らを産んでくれた母親だったんだろう


ーーーーーーーーーーーーーーーーー


「母上様御元気ですか 

永い間本当に有難うございました 

我六歳の時より育て下されし母 

継母とは言え世の此の種の母にある如き 

不祥事は一度たりとてなく 

慈しみ育て下されし母 

有難い母 尊い母 

俺は幸福であった 


ついに最後迄「お母さん」と呼ばざりし俺 

幾度か思い切って呼ばんとしたが 

何と意志薄弱な俺だったろう 

母上お許し下さい 

さぞ淋しかったでしょう 

今こそ大声で呼ばして頂きます 

お母さん お母さん お母さんと」


ーーーーーーーーーーーーーー



「僕はもう、お母さんの顔を見られなくなるかも知れない

お母さん、良く顔を見せて下さい

しかし、僕は何んにも「カタミ」を残したくないんです

十年も二十年も過ぎてから「カタミ」を見てお母さんを泣かせるからです


お母さん、僕が郡山を去る日、自分の家の上空を飛びます

それが僕の別れのあいさつです」


ーーーーーーーーーーーーーーー



「お母さん、大元気で、でっかい奴を沈めます」




ーーーーーーーーーーーーーーー



他にもここでは載せきれないほど

母への想いがたくさん詰まった遺書がありました


また、母親以外では自分の兄弟や恋人、

我が子へ向けた想いもありました



ーーーーーーーーーーー



「二人で力を合わせて努めて来たが終に実を結ばずに終わった。

希望も持ちながらも心の一隅であんなにも恐れていた

“時期を失する”ということが実現して了ったのである。

今は徒に過去に於ける長い交際のあとをたどりたくない。

問題は今後にあるのだから。

常に正しい判断をあなたの頭脳は与えて進ませてくれることと信ずる。

然しそれとは別個に、婚約をしてあった男性として、

散ってゆく男子として、女性であるあなたに少し言って往きたい。


『あなたの幸を希う以外に何物もない。

徒に過去の小義に拘るなかれ。あなたは過去に生きるのではない。

勇気をもって過去を忘れ、将来に新活面を見出すこと。

あなたは今後の一時々々の現実の中に生きるのだ。

穴沢は現実の世界にはもう存在しない。

智恵子。会いたい、話したい、無性に。

今後は明るく朗らかに。 自分も負けずに朗らかに笑って往く。』」



ーーーーーーーーーーーーー


自分が帰ってくるのを待ってる人がいるのに、

今すぐでも抱き締めたい最愛の人がいるのに、

それでも死地へ向かわなければならないという

そのときの苦しみは本人じゃないとわからないと思う



ーーーーーーーーーーーーーー



「なつかしい静(しい)ちゃん! お別れの時が来ました。

兄ちゃんは、いよいよ出撃をします。

この手紙が届くころには、沖縄の海に散っています。

思いがけない父、母の死で、幼い静ちゃんを一人のこしていくのは、

とても悲しいですが許して下さい。

兄ちゃんの形見として静ちゃんの名で預けてある郵便通帳とハンコ、

これは静ちゃんが 女学校に上がる時に使って下さい。

時計と軍刀も送ります。

これも木下のおじさんに頼んで、売ってお金に換えなさい。

兄ちゃんの形見などより、これからの静ちゃんの人生の方が大事なのです。

もうプロペラが回ってます。

さあ、出撃です。

では兄ちゃんは征きます。

泣くなよ静ちゃん。がんばれ!」




ーーーーーーーーーーーーーーー




ある特攻隊の教官は

次々に飛び立っていくを見送りながら

「俺も必ず後を追う」と決意していたが

教官という立場や妻子がいたこと、航空技術に携わっていなかったなどを理由に

幾度にも及ぶ特攻志願の嘆願書も受け付けられなかった


そんな確固たる意志をもった夫の姿をみて妻は

「私たちがいたのでは後顧の憂いになり、

思う存分の活躍ができないでしょうから

一足お先に逝って待っています」

という遺書を残し

1才と3才の女の子を連れて入水自殺をしてしまう


先立たれてしまった妻子の横で号泣したあと

いよいよ教官は自らの血で嘆願書で上申し(血書嘆願)

ようやく出撃が認められたという


そして死地に向かう前の遺書には


「母とともに消え去った幼い命がいとおしい 

まもなく会いにいくからね

お父さんの膝でだっこして寝んねしようね

それまで泣かずにまっていてください」


と書かれていたという



ーーーーーーーーーーーーーーー




多分、戦時中は

僕には想像もつかないくらいの郷土愛・愛国心があって

国のために命を賭すことは尊いことだともされてきた


しかしその反面、自らの命を絶たれるということは

愛するもの達との永遠の別れを告げることを意味しているし

はたまた、「死」という深淵の恐怖を受け入れなければならない


その相反する感情が混在して苦しみ抜いている姿が

これらの遺書には重たく漂っている



僕も何かのために身を擲つということについては

(言い過ぎかもしれないけれど)「美徳」だと考えている


その反面、死ぬということについてリアルに感じたこともなく

死ぬのは恐い


その極限の決断を僕より幼い年齢で行う意味

尊いものを自らの死で守り抜こうとする決意

現代の日本人にはそんな強い遺志が受け継がれているだろうか



ひとつ言えるのは

こうしてたくさんの日本人が日本を守り続けてくれたからこそ

今の僕が存在しているということ


もし大東亜戦争で日本が屈していたら

沖縄へ上陸した米国を止められず本州への進軍を許していたら

たぶん植民地のような扱いになっていたに違いない


戦争をすること自体は良くないことではあるけれど

度重なる列強からの侵略から

日本と言う国、日本国民を必死に維持してきた争い、戦いを

僕は絶対に否定したくない


こうして平和だったり戦争だったりと

自由に考えることができること自体が

平和であることの証なんだから



そして

今を創ってくれた英霊達のために

僕は一生懸命「生き抜きたい」


自らの夢を捨てて散華していった英霊のために

臆することなく前を向いて歩いていきたい


それが英霊達に僕ができる

唯一の恩返しだと思うから







なんだかまとまりの無い話になりましたw

というか、最後辺りは長崎原爆資料館で書いたのとほぼ一緒

まぁ感じていたことが、よりいっそう強まったということでw


結局、知覧特攻平和会館には閉館ギリギリの17:00に脱出

朝の9:00から10時間滞在していたんだけど

全ての遺書・絶筆に目を通すことができなかった…


なんでかというと

その書いた隊員の想いを一度読んだだけでは理解しきれなくて

一つ一つの遺書を何度も何度も読み返してたんですよね

(まぁ僕の理解能力が乏しいってことなんですがw)


あと意識していたって言うのが

遺書に書いてある文章を覚えるんじゃなくて

その紙や布に染み付いている想いや気配を身体に焼き付けるというか

隊員が精魂懸けて書いたその魂を少しだけでもいいから吸収したかったというか…

なんだか言葉では表現しにくいけど。


まぁ今回、知覧特攻平和会館を訪れたとことは

一生のなかでもとても大切な思い出になったなぁーと思います




会館の外に出てみると

空はすでに薄暗く

一日中降り続けていた雨のおかげで

ひっそりと重たい空気が漂っている


ふと記念館の隣を見ると

屋根の低い建物がある


これは三角兵舎と言って

森や林の中に低く建ててカモフラージュし

爆撃機に見つからないようにしているとのこと


また、特別攻撃を翌日に控えた隊員が

最後の夜を過ごす場所だった



室内はとても薄暗く

ジメジメしたぬめり気のある空気が漂っていて

この兵舎へ入った隊員は

夜も眠れず、息を殺して泣いていたという


その状況を想像しようとしても

やはり想像できない

それだけ僕は平和なんだと思う





今日の寝床はここから2時間先の道の駅

明日は鹿児島市内まで行ってしまいたいから

今のうちに距離を伸ばしておきたい


ひたすら夜の道を歩いていると

「夜間路面凍結」の表示板

なんだか身も心も冷たい日だなぁー


20:00過ぎにようやく

道の駅「川辺やすらぎの郷」へ到着


そのころには再び雨が降り始めていて

屋根があって邪魔になら無いところへ移動し

こっそりテントを建てる

たぶん今年の旅でテントを建てるのは今日で最後かな

なんだかいつもは何気なくしてる幕営も

今日はありがたいことのように思えてくる


さぁ明日はとうとう鹿児島入り

知覧の思い出も一緒に歩いていこう!










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Comment

mishima says... ""
べーすけさんこんばんは。
私も昨年大晦日に知覧特攻平和会館行ってきました。
残念ながら、1時間程度しか見学する時間がなかったのですが、
私が知覧の地で感じたことは「空しさ」でした。(決して悪い意味ではなく)
沖縄や、長崎や、広島などは、その場で多くの尊い命が失われたけど、
知覧は、「死のために飛び立った場所」だからかなと。
沖縄で散った若人たちの魂は、愛する人の元に戻れたのだろうか?
そんなことばかり考えてました。
私がもし明日死ぬと分かってたら、何をするだろう。何ができるだろう?
何もできないかも。

最近色々と不平不満の多い自分でしたが、生かされていることに感謝して、
日々精進したいと思いました。
・・・といいつつ、悲しいかなしばらく時が経つとまた忘れてしまうのでしょうが。。
2015.03.23 22:41 | URL | #- [edit]
みっちゃん says... "ありがとうございます。"
特攻について、ブログで語っていただきありがとうございます。

実は、私も特攻については以前より自分なりにいろいろと考えてきました。
知覧ももちろん数回ですが足を運んでいます。
この特攻兵器の中に「神竜」というものが開発されていましたが、現在、私はその兵器について個人的に調べています。(実際にはこの神竜が使われる前に終戦を迎えています。)
これは、この神竜を開発された方が私とゆかりのある方で、しかも、偶然この兵器が開発された地にわたしも住んでいるためです。

特攻についてはいろいろな意見があるかと思います。
でも、戦後の日本が混乱もなく復興できたのは、やはり特攻によりアメリカが日本と戦争を続けることに危機感を感じ、国体維持(敗戦後も天皇制の存続を主な目的とした国の形の維持)が実現できたからのように考えています。

そして、あの時代の世界の動きを見てみると、私はそれぞれの国に「重大な判断ミス」があったことで、世界全体が行ってはいけない方向に歴史が進んでしまったように思えます…。

特攻で亡くなられた方たちは、その重大な判断ミスの尻拭いをさせられたんじゃないか…。

これから未来に向けて、私達はこの歴史の事実を伝え続けなければいけないと思います。
2015.03.24 09:41 | URL | #- [edit]
トミー says... ""
べーすけさんブログ更新お疲れ様です、知覧は日本一周人の男なら必ず行くべきだと個人的に勝手に思っています。
ここで多くは語りませんがここや沖縄のひめゆりの塔とかを訪れると本当に戦争について考えさせられますね。
何かに殉ずると言う心は高潔である気もしますが正しいかと言われると僕もはっきりとは答えられない気がします(MGS3のザ・ボスみたいなもんでしょうか)
僕は特攻前日の犬を抱いた笑顔の少年たちの写真が忘れられません、死ぬ前の日にどうしてあんな笑顔でいるんだろうと色々と考えた記憶があります。
沖縄に行ったら是非とも本土戦の記録なんかをご覧になることをお勧めします。

屋久島縦走の記事も楽しみにしていますよ。
2015.03.24 21:24 | URL | #- [edit]
べーすけ says... "Re: "
>mishimaさん
いつもコメントありがとうございます!
僕も知覧や長崎原爆資料館に漂っている「空虚」な気配を感じました。
でもそれは湿り気のある陰湿なものではなかった気もします

特別攻撃というのは「未来」を守るための究極手段であって
ある意味、ポジティブな「死」だったんじゃないかなと。
だからこそ、特攻へ向かう方々は出撃できることを誇りに思うし、
見送る方々も心潔く旭日旗を降ることができたのではないでしょうか
(もちろん、その中には多くの悲しみも混じっているでしょうけど)

そして僕らは、命を懸けて守って下さった「未来」なわけで
特攻隊員と一緒な日本国民であることに同じく誇りを持ちながら
英霊に笑われないような生き方をしていきたいなぁーと感じます。

お返事になっていないかもしれませんがw
2015.03.27 12:49 | URL | #VEUMvR1o [edit]
べーすけ says... "Re: ありがとうございます。"
>みっちゃんサン
先日はザックを修理していただきありがとうございました!

気になったので「神竜」という兵器をしらべてみましたが
とてつもなく常軌を逸した特攻兵器だったようですね
それだけ日本軍は切迫していたと同時に
軍全体が「精神論」優先の考え方をしていたということなのかもしれません。

僕は結構、極論へ考えを急いでしまう質なのですが
やはり人間というのは同じ種族同士での「争い」は避けられない生き物じゃないかなと常々感じます。
それは人間が一定の場所に定住して固定資産を持ちはじめてからと言われていますが、
まぁ僕は単に人間の「欲」が増えすぎたからだと思います。

でも、その「欲」があったからこそ科学は発展し続けてきたし
今のような快適な生活ができるようになったとも言えます
(欲の増大=科学の発展=人類の進化といっても過言ではない)

「欲」は時が経つほどに強大にそして禍々しくなっていて
現代の社会は人間自身が手に負えないくらいの「欲」が渦巻いています

第二次世界大戦も「欲」が増え続ける限り起こらざるを得なかったことと感じます。
そして今度もう一度「欲」爆発したときには、おそらく人類自身の存亡に関わる規模になるでしょう

「戦争(争い)を否定することは今までの人類の進化を否定すること」

この命題は一生懸けてもわからないことかもしれません。
ですが、自分なりにどうしたらいいのか
少しずつ頭を整理していこうと考えています。

返信のつもりがお答えになっておらずすみません…
2015.03.27 13:35 | URL | #VEUMvR1o [edit]
べーすけ says... "Re: "
>トミーさん
いつもコメントありがとうございます!
知覧は日本国民は一度は行ってほしいところですね
特にそこらへんでバカしてるヤンキーとかに見せて
実際に途中まで特攻機に乗せてやってほしいくらいですよ

国のために生きるというのはどういうことなのか
僕には理解しきれないところではあるんですが
なにかに命を懸けることはこれからも続けていきたいと思いますね

ちなみに紆余曲折あったんですが
このタイミングで沖縄・離島に行くのは諦めましたw
今はしっかり歩きに専念しようかと思ってますので
沖縄らへんはもうしばらくお待ちくださいww
2015.03.27 13:41 | URL | #VEUMvR1o [edit]

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